診療ガイドラインは医療過誤訴訟においてどのように扱われるのか?この記事では、ガイドラインと医療水準の関係、そして法的リスクを避けるための医師の留意点について解説します。医療訴訟を未然に防ぐために必要な知識を深めましょう。
Q 診療ガイドラインに推奨されていない治療法を選択しようと考えています。仮に患者に障害が残ってしまった場合には、治療の選択について裁判で過失ありと認められるでしょうか。
A 民事裁判において、診療ガイドラインは、原則として、医療過誤における過失の判断において、医療水準の認定に際し重要な医学的知見の一つとされます。ガイドラインに推奨されている診療行為を選択しない場合には、当該診療行為を実施することにつき、合理的な理由が認められるのかを検討し、ガイドライン記載の診療との利害得失について患者に十分な説明を行う必要があります。これらについて裁判において主張立証できる場合には、患者に悪しき結果(障害)が生じたとしても医師の過失は否定されます。
今回は、診療ガイドラインと医師の過失がテーマです。
医療では、特定の臨床状況において患者の診療に関して推奨される診断や治療の手順を体系的にまとめた診療ガイドラインが作成されています(医療ガイドラインや診療指針などともいわれますが、以下、単にガイドラインと表記します。)。
ガイドラインが策定されている疾病について医療過誤訴訟が提訴された場合には、ほぼ全例についてガイドラインにどのような推奨がされていたか、当該ガイドラインに沿ったものか、沿っていないものかについていずれかの当事者から主張立証がされます。医師の過失は、当該医療行為が「医療水準」に達しているかどうかが一つの基準とされていますが、ガイドライン=医療水準して、ガイドラインに反した医療行為は医療水準に達しない行為といえるでしょうか。医療水準の詳細については、下記ブログをご参照ください。
ガイドラインとは何か?(「診療ガイドライン」)
ガイドラインは、当該疾患の専門家が医学論文等の科学的根拠(エビデンス)を基に意見を集約したものであり、標準化された最良の医療実践を提供することを目的として作成され。医療の進歩とともに定期的に改訂されています。
1990年代から良く用いられるようになった『エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)』という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、EBMは、最良の利用可能な科学的証拠に基づき、患者の価値観や希望を尊重しつつ最適な治療(診断や治療)を提供することを意味しますので、ガイドラインとEBMは、密接に関連し、相互に補完し合う関係にあるといえます。
1990年代にEBMの概念が浸透するにつれ、ガイドラインの整備は本格化し、厚生労働省や各種学会が中心となり、現在は、多くの疾患、分野について作成されており日頃の診療においても臨床医に多く参照されています。
例えば、日本循環器学会等策定不整脈治療ガイドライン(2024年フォーカスアップデート版)
ガイドラインにおける推奨度
ガイドラインでは、推奨される治療法の強さや信頼性を示すために「推奨度(Class)」という分類が使われます。一般的にはClass1からClass3までのカテゴリーに分けられ、その内容は以下のように説明されます。
- Class 1: 最も強い推奨を意味します。科学的根拠が十分にあり、治療法や診断法が効果的であると確立されている場合に「Class 1」とされます。医師はこの推奨に従うことが強く求められます。例えば、ある薬物が特定の病気において明確に有効であることが証明されている場合にClass 1とされます。
- Class 2a: 推奨されるものの、Class 1ほど強くない場合に付けられます。エビデンスはあるが、やや不確実性が残る場合にこの分類になります。例えば、特定の治療法が効果的である可能性が高いが、さらなる研究が必要なケースです。
- Class 2b: 効果があるとされるが、その証拠が比較的弱い場合に使われます。医師はこの推奨を選択するかどうかを考慮し、患者の状態に応じて判断します。例えば、ある治療法が一部の患者に有効であるとされるものの、全体的なエビデンスが弱い場合です。
- Class 2C: より慎重に使用すべき治療法であり、証拠が乏しく、一般的な推奨としては弱いといえます。選択肢として挙げることはできるが、広範に推奨されるものではありません。
- Class 3: 推奨されない治療法や診断法を示します。科学的根拠が不十分、または危険性が高いと判断され、使用すべきではないものです。例えば、ある治療が有害(Harm)であるか、効果が全くない場合(No benefit)にClass 3とされます。
これらの分類を通じて、医師は最も適切な治療法を選ぶための指針を得ることができます。
ガイドライン違反と医療過誤(「医療過誤」)
ガイドラインは、医療過誤における過失の判断(医療水準論)において重要な役割を果たしています。ガイドラインが上記のとおりエビデンスに基づき診療を標準化するために、当該疾患の専門家によって意見が集約されたものであることに照らせば、ガイドラインが医療水準の判断において重要な参照資料となること自体は否定できないものと考えます。
一方で、2022年にAraiらによって発表された論文によれば、麻酔科領域において、日本の国公立私立大学80校の麻酔学講座の主任教授全員に、麻酔導入後の困難な気道管理、術後の呼吸モニタリング、および局所麻酔後の下腿神経障害の有無に関して調査した結果、ガイドラインの推奨に従わない診療が日常的に実施されていたとの論文もあり、ガイドラインの推奨事項と臨床の実際が乖離していることも無視し得ない事実といえます(Takero Arai, et al. "Standard of anesthesia care: possible dissociation from recommendations made by clinical practice guidelines." J Anesth. 2022 Oct;36(5):642-647. doi: 10.1007/s00540-022-03098-9. Epub 2022 Aug 23.)。
上記論文からは、医療慣行が医療水準にならない点については注意が必要ではありますが、ガイドライン記載の推奨診療行為のみが合理的な診療行為であるとはいえないことが示唆されています。ガイドラインの中には、免責条項として特定の患者及び特定の状況によっては本件ガイドラインから逸脱することも容認される旨明記されているものもあります。
以上を踏まえた上で、実際に裁判例においてガイドラインはどのように取り扱われているでしょうか。
-
医療水準の認定におけるガイドラインの位置付け
裁判官である藤倉徹也氏によって2009年に作成された論文によれば、45例中39の裁判例において手術手技における医療水準の認定においてガイドラインが用いられていましたが、その39の裁判例ではガイドラインのみならず、その他の医療文献による認定を踏まえた医療水準の認定がされていました。
裁判官は、合理的裁量によって証拠評価を自由になしうるところ(自由心証主義といわれます。民事訴訟法247条等)、裁判所が証拠として提出されたガイドラインの成立過程や、エビデンスの程度、臨床医におけるガイドラインの浸透度合い等種々の事実を考慮してガイドラインがどの程度医療水準を反映しているかを慎重に検討している姿勢が見て取れます。
裁判所の上記姿勢は、ガイドラインが患者側の特殊要因を考慮に入れない、一般的な患者や症例を対象とする指針に留まらざるを得ないことからも適切なものといえるでしょう。医療者のガイドラインに対する考えとも合致していると考えられます。
例えば、日本医学放射線学会が策定する「遠隔画像診断に関するガイドライン」には、画像診断医の法的責任について、その注意義務違反は「各種ガイドラインや当時の刊行物、事後的なピアレビュー(裁判上の鑑定など)によって規定される。」と明示しています。裁判所の実務と日本医学放射線学会の述べている注意義務違反の判断手法に齟齬はないといえるでしょう。
-
裁判におけるガイドライン違反の法的リスク
後記桑原論文によれば、2015年4月1日以前のガイドラインを引用した211件の裁判例を調査した結果、66件にガイドラインの不遵守が認められており、そのうち、31件で過失あり、35件で過失なしの判断がされていたとのことです。また、ガイドラインが遵守されていたと認定された92件については、90件において過失なしとの判断がされています。なお、21件の判決中にガイドラインの推奨度の引用がされ、10件にエビデンスレベルの引用がされています。
上記調査結果からは、以下の傾向が指摘できます。
❶ ガイドラインを遵守していれば、過失が認定されることは極めて稀である。
❷ ガイドラインを遵守していなくとも、過失が認定されるかは、診療行為の合理性が認められるかという事案における事情による。
-
ガイドラインに反する診療をする場合の注意点
ガイドラインに反する診療を行う場合には、医療者側において、選択した診療が合理的であることや、ガイドラインに記載された推奨診療行為を選択し得なかった理由につき主張立証する必要が生じます。
まずは、ガイドラインに反することで過失が推定されると判示した裁判例(大阪地判平成21年11月25日・判タ1320-198)をみてみましょう。
本裁判例は、患者が後縦靭帯骨化症除去前方除圧術後に四肢麻痺を認めた事案につき、日本整形外科学会診療ガイドライン委員会・頸椎後縦靭帯骨化症ガイドライン策定委員会が策定したガイドラインに除圧幅の目安が20mm以上とされていることに照らし、当該ガイドラインに満たない除圧幅で手術が実施された点について過失が認めらました。以下に、当該裁判例におけるガイドラインに関する判示部分を引用します。
ガイドラインでは,要約として,骨化巣の大きさや形態が除圧幅の規定因子であるが,除圧幅について20mm以上が目安の一つであるとしており,その解説において,外国の報告で頸椎症性脊髄症に対し15mm幅の椎体切除を行い合併症を認めなかった報告を一つあげながらも,20mm以上の除圧幅を推奨している報告を五つあげ,過去の報告のまとめとして,大部分の報告は20mm以上の除圧幅を推奨しており,症例によっては術前の画像を参考にそれ以上の除圧幅を要するものと考えられるとしている。ガイドラインは平成17年に作成されたものであるが,除圧幅に関する部分の基礎となった論文は本件手術時に既に発表されているものであって,ガイドラインはそれをまとめたものにすぎず,本件手術時においても20mm以上が除圧幅の目安の一つであったということができる。
もちろん,目安の一つにすぎないのであるから,何らかの理由に基づいてこれと異なる除圧幅とすることを否定するものではないと考えられるが,乙山医師が除圧幅を上記のとおりとした理由は,切除した部分にはめ込む人工椎体の幅は13mmあるので,それが入れば除圧幅が狭すぎることはないというものであり(証人乙山医師),ガイドラインの内容に照らして合理性のある理由とはいい難い。
そして,乙山医師が原告に対し脊髄の分野の権威者として紹介した丁谷医師も,本件手術において切除の幅が骨化巣の幅よりも狭いため,骨化巣の完全切除ではなく多くの部位で骨化巣の両外側端が残る部分切除になっており,除圧術の原則である「全域同時除圧」が順守されていないこと,除圧幅は予想される骨化巣の幅よりも広くする必要があり,本例では20mmが適切であることを指摘している(甲B4)。
以上からすると,乙山医師の本件手術における除圧幅は狭すぎ,不適切であったということができる。
次に、ガイドラインに反するものの過失が否定された裁判例(東京地判平成30年4月26日・判タ1320-198)をみてみましょう。
ステージⅣの胃がん患者に対し、ガイドライン上は化学療法が「日常診療」※に当たるとされているにもかかわらず、「臨床研究」に位置付けられている胃切除手術(減量手術)が実施された事案において、ガイドラインの性質(ガイドライン記載以外の診療行為を排除する趣旨で作成されたものではないこと)、胃切除手術が一定の医学的合理性を有すること、後ろ向き研究において一定の肯定的な研究結果が認められたことなどから、医師の上記手術の選択に過失はないと判断しています。
当該判示内容は、医師がガイドラインに反する診療行為を選択する際に参考になるかと思います。
※ 「日常診療」とは、「有用性が科学的に検討され、または多くの医師が経験的に妥当と考え、日常の臨床の中で行うことが妥当とされる治療法」をさします。
ステージⅣの胃がんに対して減量手術を実施することは、現在の医学的知見では原則として適応を欠くと考えられるものの、平成16年当時においては、①平成16年版ガイドラインは、胃がんの様々な治療方法の効果の集学的評価を行う途上にあった当時の状況を背景として、治療の適応についての目安を提供することを目的に作成されたものであって、ガイドラインに記載した適応と異なる治療法を規制する趣旨で作成されたものではないこと(上記(1)ア(ア)、(イ))、②減量手術は、一定の安全性が確保されており、試みるに値する程度の科学的な根拠はある治療法であると評価されていたこと(上記ア(イ)a)、③平成16年版ガイドラインは、Aのような症例については化学療法を第一選択とするが、その趣旨は非治癒切除症例に対して減量手術を施行することを禁止するものではなかったこと(上記イ(ウ))、④減量手術について、後ろ向き研究ではあるが一定の肯定的な研究結果が報告されており、臨床現場においても多くの実施例がある状況にあったこと(上記ア(イ)b、c)、⑤減量手術を実施せずに化学療法を実施することで、より延命効果が得られると期待できるようなエビデンスは存在しなかったこと(上記イ(イ))を認めることができる。これらの一般的な事情に加え、被告Y2を含む担当医師らは、Aの胃がんの非治癒因子が1つとみて減量手術の後に抗がん剤の投与をしようと考え、また、がんの進行により早期に食物の通過障害が起こることを防ごうと考えていたものであり、これらが不合理とまではいえないことを併せて考慮すれば、平成16年当時、Aに対し、手術後に化学療法を実施することを予定しつつ、本件手術を実施したことが、適応を欠く違法なものであったということはできない。
-
ガイドラインに反する診療をする場合の患者への説明
ガイドライン上、推奨されている治療法を採用しない場合は、患者と家族に医師が選択する治療法とガイドライン上の推奨治療法、及びこれらの利害得失について十分な説明し、その理解と納得を得て行うべきです。医師の上記説明義務は、医療水準として確立されていない診療行為を実施する場合には常に注意すべき点です。
最高裁平成13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁は、以下の事情に照らして医療水準として確立していなかった乳がん治療について説明義務を認めていますので、状況は反対ではありますが、医療水準として確立している治療法については、当然に説明義務が認められるというべきでしょう。
乳がんの手術に当たり、当時医療水準として確立していた胸筋温存乳房切除術を採用した医師が、未確立であった乳房温存療法を実施している医療機関も少なくなく、相当数の実施例があって、乳房温存療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていること、当該患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び当該患者が乳房温存療法の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有することを知っていたなど判示の事実関係の下においては、当該医師には、当該患者に対し、その乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在をその知る範囲で説明すべき診療契約上の義務がある。
参考書籍、参考文献
米村滋人『医事法講義』第2版. 日本評論社、 2022.
大島眞一『医療訴訟の現状と将来』.判例タイムズ1401号.2014.
藤倉徹也「維持事件において医療ガイドラインの果たす役割」判タ1306-60頁,2009.
橋口陽二郎「ガイドラインと医療訴訟」臨外79-3, 2024.