Q クリニックで消化器外科をしています。先日、残念ながら当クリニックで実施した手術によって患者が死亡した事案が発生しました。当該患者に対する診療行為が法的に損害賠償の対象となるかを懸念しています。どのような診療行為について問題にされる可能性があるのでしょうか。
医療水準論の復習
前回は、医師の「過失」とは何か、どのような観点から判断されているかについてご説明しました。
振り返りますと、医師の「過失」=注意義務違反とは、「予見可能性を前提とした結果回避義務違反」といわれ、❶注意すれば予見可能できたこと、❷予見していれば当然守るべきであったはずの損害回避義務に反したこと、の2つの要素から構成されます。
そして、そのような医師の注意義務違反の有無は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に照らして判断されることになります。医療水準は、医療機関の性格や所在地域の医療環境の特性等によって全国一律ではない基準が当該医療機関に適用されます。
それでは、具体的には、どのような行為について医師は診療に伴う過失を問われる可能性があるのでしょうか。具体的な注意義務違反の内容についてみていきましょう。
医師の診療行為は、患者に問診し、診察し、検査を行い、診断を下し、治療方法を選択し、治療を実施し、帰宅後の注意を告げるなどから構成され、これらの適宜のタイミングで診療に関する説明を行うこととなります。
裁判所の判断(判例、裁判例)は、診療行為のそれぞれについて、その作為(意思をもってなされた積極的行為)又は不作為(積極的な行為をしないこと)を義務違反として認定しています。
裁判所の判断において登場した注意義務違反を整理しますと、具体的には以下のような注意義務が挙げられます。民事裁判は、当事者の主張に応じて裁判所が判断を行う構造となっていますから、これらが裁判所が認めた注意義務の全てではありません。
医師の具体的注意義務
医療機関としての転落防止義務や感染症発生防止義務、医療水準とは関連のない顛末報告義務や応召義務等の医師法上の義務については以下に含めておりません。これら義務違反については、また別の機会にご紹介することといたします。
⑴ 問診義務
⑵ 検査義務
⑶ 診断義務
⑷ 治療義務(投薬義務、投薬中止義務、手術実施義務等)
⑸ 経過観察義務
⑹ 療養指導義務
⑺ 転医義務(転送義務)
⑻ 説明義務
以下、上記各義務について適宜事例を紹介しながら、概括的に解説を加えます。
個別の義務については、別稿において詳しく説明してまいります。
今回は、ざっと、どのような注意義務が問われているのかを概観いただければと十分かと思います。
⑴ 問診義務
問診とは、医師が患者から病状、既往歴、家族歴等を聴取することであり、診療において重要なものと位置付けられています。例えば、心臓疾患について、経験豊富な医師は問診のみで約80%は診断がつけられるともいわれます。問診義務は、特に、薬剤や予防接種等に関してアナフィラキシーショックが発生したような場面で問診義務違反が肯定される傾向にあります。
例えば、次のような事例で問診義務違反が認定されています。
・昭和23年2月当時、医師が職業的給血者から採血を受けるに当たり、梅毒感染の有無を問診しなかったことをもって問診義務が尽くされていないと判断された判例(最判昭和36年2月16日)
・昭和42年11月当時、医師がインフルエンザ予防接種を受ける患者(間質性肺炎、腸炎に罹患していた)に対し、「予防接種を実施する医師としては、問診するにあたって、接種対象者又はその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異常の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち予防接種実施規則4条所定の症状、疾病、体質的素因の有無およびそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある」と判断された判例(最判昭和51年9月30日)
・医師がチトクロームCの注射を患者に実施するに際し、同薬がショック症状を惹起することが一般的に知られていることを前提に「医師による本人及び近親者のアレルギー体質に関する適切な問診が必要不可欠」と判断された事案。過敏性試験の陰性結果があったとしても問診義務が課されていると判断された判例(最判昭和60年4月9日)
・入院中のアスピリン喘息患者が解熱鎮痛剤によって死亡した事案について、医師に他院における発作既往歴を問診しなかったことに問診義務違反があるとされた裁判例(広島地判平成2年10月9日)
⑵ 検査義務
診療においては、採血、X線、心電図、エコー、CT、MRIといった非侵襲的でリスクのほぼない検査から、造影剤を用いた画像検査のような非侵襲的ではあるがリスクのある検査、カテーテルや内視鏡・気管支鏡等を用いた侵襲的でリスクのある検査があります。
医師は、適正な診断に至るため、適正な検査を実施する義務が課されています。
その義務の範囲は、医師が臨床医学の専門家として如何なる検査を実施するかの裁量を有しているというべきことから、医師の広い裁量によっているというべきです。すなわち、医師においては、患者に疑われる疾患の重大性、当該疾患であることの蓋然性、検査実施に伴うリスク等諸般の事情を総合的に考慮して検査を実施すべきか否かを医学的知見や経験から合理的に決定することが許されています。
一方で、医師において特定の重大な疾患を疑うべきであるにもかかわらず、必要な検査を実施していない場合には、実施しないことについて特段の理由がない限り、医師に検査義務違反が認められることとなります。
なお、相当の検査を実施して適切な処置が実施されたとしても後遺症の発生が軽減できない場合には責任は否定されることとなりますので、裁判例においてもそのような判断がされることも多くあります。法的には、「検査をしても結果が発生したかどうか」という論点は、「過失」の論点ではなく、損害と過失ある診療行為との「因果関係」の有無の問題です医療訴訟における「因果関係」については別の機会に説明いたします。
例えば、次のような事例で検査義務違反が認定されています。
・4歳児が綿あめの割箸を口にくわえたまま転倒し、その割箸が患者の軟口蓋に突き刺さり頭蓋内損傷により死亡した事案において、口腔内に裂傷はあるものの既に止血しているなどの事実から、頭蓋内損傷が具体的に予見できたものとは認められず、CT等画像検査を行う注意義務があったとは認められないと判断された裁判例(東京高判平成20年11月20日、東京高判平成21年4月15日)
・左下肢に脱力(麻痺)を約20分間認め、高血圧を認めていた患者に対し、医師は、TIA(一過性脳虚血発作)を疑い、CT検査、MRI検査を実施した上、脳梗塞(完成型脳梗塞)の発症を予防するため、アスピリン(血小板凝集抑制剤)を投与する義務があったと認めた裁判例(東京地判平成25年12月25日)
・8歳の小児が腹痛を訴え急性胃腸炎と診断されて入院になり、翌日に絞扼性イレウスで死亡した事案において、患者が入院後も腹痛の症状が改善しなかったこと、担当看護師においても急性胃腸炎以外の疾患を疑うことにつき上申があったこと、腹部膨満を認めたこと、排便がないことなどをもって、医師に腹部レントゲン検査、CT、腹部超音波検査を実施すべき検査義務違反があったと認められた裁判例(横浜地判平成21年10月14日)
⑶ 診断義務
医師は、問診、診察、検査等の結果を総合的に考慮して、患者に対して適正な診断を行う義務を負います。そこで、医師には誤診について診断義務違反が問題になることになります。しかしながら、ある診療時点における診断はほとんどの場合、種々の鑑別疾患が一定の確率において存在することを疑う限度で可能なものであり、確実に疾患を診断することは臨床医学の性質上困難であることから、誤診=診断義務違反とはなりません。解剖や生検を経た確定診断によって事後的に正しい診断がされる場面と、臨床医学における診断とは区別して考える必要があります。
適正な診断が実施されない義務違反が問われるのは、患者に必要な検査又は治療が実施されなかった場面ですから、診断義務違反は、理論上は、義務の上流に位置付けられる検査義務又は治療義務として責任追及されることになります。
しかしながら、以下の裁判例もそうですが、医師の誤診そのものを過失と認定する裁判所の判断は多く存在します。
・アスピリン喘息の患者が酸性非ステロイド性抗炎症薬(ボルタレン)によるアナフィラキシーショックを発症し死亡した事案について、アスピリン喘息の臨床像の特徴である鼻茸を認めていたにもかかわらずアスピリン喘息を疑わず、同疾患に投与が禁忌とされているボルタレンを投与したことについて、同薬の使用について過失があるとされた裁判例(広島公判平成4年3月26日)
⑷ 治療義務(投薬義務、投薬中止義務、手術実施義務等)
医師は、患者について診断した上で、診断された疾病に対し、医療水準に従った治療を施す義務を負います。医師が実施すべき治療に関する注意義務違反には、次のようなものに分類されます。
ア 特定の治療を実施すべき義務があるのに、これが実施されなかった場合(不作為)
イ 実施された治療方法の選択に誤りがある場合(医薬品の選択、手術方法の選択等)
ウ 実施された治療の実施方法に誤りがある場合(医薬品の過量投与、手術手技のミス等)
上記ア及びイは、適正な治療を選択すべき注意義務違反として一括りにされることもあります。
上記ア(適正な治療の不作為)
患者に適正な治療が実施されない場合には、医師が特定の疾病とは別の疾病であると誤診している場合や、当該疾病について特段の治療が必要ないと判断されている場合が考えられます。これらについては、検査実施義務や後述する経過観察義務と明確に区別されることなく主張・認定されることが多いといえます。
例えば、次の事例が挙げられます。
・圧挫創を外傷によって負った患者が敗血症で死亡した事案について、「重い外傷の治療を行う医師としては、創の最近感染から重篤な細菌感染症に至る可能性を考慮にいれつつ、慎重に患者の容態ないし創の状態の変化を観察し、細菌感染が疑われたならば、細菌感染に対する適切な措置を講じて、重篤な細菌感染症に至ることを予防すべき注意義務を負う」と判断された判例(最判平成13年6月8日)
・出産時、弛緩出血に起因する出血が持続して出血性ショックに陥った事案について、十分な輸液がされなかったなどの注意義務違反があるとされた裁判例(大阪地判平成21年3月25日)
上記イ(適正な治療法の選択義務違反)
複数の治療法がいずれも医療水準に合致する場合には、説明義務違反に当たることがあることは別として、医師において特定の治療法を選択することに注意義務違反が認められることはありません。それゆえ、医師が適正な治療法の選択義務違反を問われる場面は、医師が適正な治療法が存在するにもかかわらず、適正ではない治療法を選択した場合であるといえます。
医薬品の選択義務違反について、次の判例が挙げられます。
・高齢の入院患者がMRSAに感染した際に、バンコマイシンを投与することなく、広域抗生剤である第3世代セフェム系抗生剤を投与した事案について、早期にバンコマイシンを投与しなかったことなどについて医療水準にかなうものではないと判断された判例(最判平成18年1月27日)
上記ウ(適正な治療の実施義務違反)
手術に際しての手術器具の操作ミス、内視鏡、カテーテル等の操作ミス、医薬品の誤投与・過剰投与等、様々なものがこれに含まれます。
手術等の手技上の過失については、近年は手術動画が撮影されている例もあるものの、記録に残されていることが少なく、患者側の具体的な過失の主張立証に困難を伴うことが特に多い類型であるといえます。そのため、患者側において、ある程度の抽象的な主張がされることはやむを得ないといえます。裁判所は、手術と悪しき結果との時間的近接性や、手術部位と悪しき結果が発生した部位の場所的近接性、当該手術において通常発生する合併症といえるのか、他の原因が存在するといえるのか、といった観点から医師の注意義務違反を認定します。
以下のような裁判例が挙げられます。
・多発性骨軟骨腫の一部が脊柱管内に発生して脊髄を圧迫している状況を治癒させるために椎弓切除腫瘍剔去術による脊髄内の軟骨摘出手術が実施された結果、脊髄損傷・両下肢機能全廃になった事案について、症状の重篤性、術中の出血量が多量であったこと、患者に上記症状を起こす特異体質等の原因がないことに照らし、医師に手術手技上の過失が認められるとした裁判例(神戸地裁尼崎地判平成4年11月26日)
・人工骨頭置換術後に坐骨神経麻痺を認めた事案につき、患者に椎間板ヘルニアが存在することからして、坐骨神経麻痺の発症をもって手術手技上の注意義務違反を推認することは困難であると判断された裁判例(大阪高判令和3年9月8日)
⑸ 経過観察義務
医師は、患者を診断、検査、治療をした場合であっても、しなかった場合であっても、患者に認められた所見、検査結果、治療結果に照らして、患者の容態が悪化する危険性を判断し、その危険性の程度に応じて経過を観察すべき義務を負います。
訴訟では、侵襲を伴う検査後の容体悪化、投薬直後のアナフィラキシーショック、術後の容体の悪化、入院中の患者の容体の悪化等について経過観察義務が認められています。
経過観察義務は、看護師の医師に対する報告行為のように(東京地判令和3年9月16日)、本義務特有の行為が問題にされることもありますが、実質的に、検査義務や治療義務に収斂されるとも考えられるため(原告が経過観察義務を主張し、検査義務違反が認められた事案(東京高判平成30年3月28日)、特定の状況における注意義務の類型であるともいえるでしょう。
・抗生剤の投与を受けた患者が投与開始直後にアナフィラキシーショックで死亡した事案について、「Y2が、薬物等にアレルギー反応を起こしやすい体質である旨の申告をしているBに対し、アナフィラキシーショック症状を引き起こす可能性のある本件各薬剤を新たに投与するに際しては、Y2には、その発症の可能性があることを予見し、その発症に備えて、あらかじめ、担当の看護婦に対し、投与後の経過観察を十分に行うこと等の指示をするほか、発症後における迅速かつ的確な救急処置を執り得るような医療態勢に関する指示、連絡をしておくべき注意義務があり、Y2が、このような指示を何らしないで、本件各薬剤の投与を担当看護婦に指示したことにつき、上記注意義務を怠った過失があるというべきである。」として経過観察義務を肯定した判例(最判平成16年9月7日)
⑹ 療養指導義務
医療機関において実施する検査、治療が終了し、一旦診療が終了した後においても、医師は適切な自宅療養を実施するよう指導し、症状の増悪等を認めた場合に緊急受診するなどを説明、指導する義務を負います。
・医師が未熟児である新生児を黄疸の認められる状態で退院させ、当該新生児が退院後核黄疸に罹患して脳性麻痺の後遺症が生じた事案につき、「退院させるに当たって、これを看護する上告人らに対し、黄疸が増強することがあり得ること、及び黄疸が増強して哺乳力の減退などの症状が現れたときは重篤な疾患に至る危険があることを説明し、黄疸症状を含む全身状態の観察に注意を払い、黄疸の増強や哺乳力の減退などの症状が現れたときは速やかに医師の診察を受けるよう指導すべき注意義務を負っていたというべき」などとして一般的な注意を与えたのみで退院させた医師につき療養指導義務違反を認めた判例(最判平成7年5月30日)
・大腸ポリープに対しポリペクトミーを実施した患者が大量出血によって死亡した事案について「医師がポリペクトミーを施術する際、術後も穿孔が起こる危険性を十分認識し、少なくとも、当日患者を帰宅させる場合には、手術の内容、食事内容、生活上の注意をして、その余後に万全の注意義務を払うべき」として医師の療養指導義務違反を認めた裁判例(大阪地判平成10年9月22日)
⑺ 転医義務(転送義務)
医師は、患者に重大で緊急性のある病気の可能性が高いことを認識した場合、当該医療機関及び当該医師において対応できない場合には、患者を対応可能な専門医及び設備を有する医療機関に転医させる義務を負います。
医師の転医義務は、医療法1条の4第3項に「医療法医療提供施設において診療に従事する医師及び歯科医師は、医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携に資するため、必要に応じ、医療を受ける者を他の医療提供施設に紹介し、その診療に必要な限度において医療を受ける者の診療又は調剤に関する情報を他の医療提供施設において診療又は調剤に従事する医師若しくは歯科医師又は薬剤師に提供し、及びその他必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」として、努力義務として法文化されています。
以下の判例について転医義務違反が認められています。
・風邪症状で約4週間毎日開業医に受診した患者が、風邪薬による副作用である顆粒球減少症に罹患して死亡した事案につき、「開業医の役割は、風邪などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度な医療を施すことのできる診療機関に転医させることにあるのであって、開業医が、長期間にわたり毎日のように通院してきているのに病状が回復せずかえって悪化さえみられるような患者について右診療機関に転医させるべき疑いのある症候を見落とすということは、その職務上の使命の遂行に著しく欠けるところがあるものというべきである。」「開業医が本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院又は他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務があるというべき」として転医義務を認定した判例(最判平成9年2月25日)
転医義務については、どのような状況に至れば転医義務が発生するのか、転医先の選定等についても医師が責任を負うのかといった重要な争点もあります。
⑻ 説明義務
医師が患者に十分な説明を実施すべき義務が認められるのは、患者において自己決定や熟慮の機会が法的な利益として認められているからです。
それゆえ、説明義務違反は、上記⑴から⑺までの患者の生命、身体、健康という法益を根拠とする問診義務等とは性質が異なります。
具体的に、どの程度のインフォームドコンセントが必要となるのかについては、医療水準を参照しつつも個別の判断になることが多いといえます。
A
診療のうち、問診、検査、診断、治療、経過観察、療養指導、転医、説明について、その作為(積極的行為)又は不作為(消極的行為)が法的に適切なものであったかを問題にされる可能性があります。
これら行為が医療水準に照らして合理的なものであったか、すなわち、適切な問診、検査を実施して患者の病態を的確に把握し、その危険性を踏まえた上で、標準的な医師であれば合理的と考える検査、治療、経過観察、療養指導、転医なされていたかについて検討し、適切な説明を患者遺族に行う必要があります。